IROZA MAGAZINE

Column 色×読書

あのころの青痣

先日、滞在制作の仕事で北海道に行った際のこと。新千歳空港から小樽行の急行電車に揺られていると、トンネルを出た途端に視界が開け、石狩湾の水平線が車窓に広がった。陽光に輝く澄んだ青色。札幌育ちの私にとって、海はそこまで馴染み深いものではなく、唐突に現れた石狩湾と恵比寿岩にやや驚いた。電車はあっという間に海沿いを通り過ぎていった。
 


画像:Wikipedia

 

青という色が呼び覚ますものは、あまりポジティブな感情ではないかもしれない。姫野カオルコの短篇小説「青痣(しみ)」は、主人公・景子が14歳のときに抱いた嫉妬の感情を描き出す。愚かな日々は、恥ずべき青痣(しみ)となって胸の中に残るのだ。
 


あの時間のなかにある人間だれもが逃れられない、無知、みなぎる活力、そして大洋のように泰然とした浅はかさが、わたしのあの時間も埋めていたのだと言えば、あの青痣に、後年のわたしは許されるだろうか。
――姫野カオルコ「青痣(しみ)」『桃 もうひとつのツ、イ、ラ、ク』(角川文庫)より

 


 

雑多な人間たちが一つの教室に押し込められれば、ヒエラルキーからは逃れられない。景子は、階級上位の〈グループ〉に入りたいと願う。親しげな呼び捨てや〈ちゃん〉付けで呼ばれる華やかな女子たち。対して、自分の属するグループの女子は、名字に「さん」付けでしか呼ばれない。〈なぜ、わたしはこんなグループにいるのだろう〉。大人しい地味な女子の中にいて、景子は不満を膨らませていく。少女の日常がどれほどややこしく、耐え難いものだったか、まざまざと思い出された。


とまれ、まるで親しくないのにもかかわらず、塵ほどの反応ではあるものの、自分で自分をあぐねるほどすみやかに、わたしが暗い反応を起こしてしまう相手。それがJだった。
――姫野カオルコ「青痣(しみ)」より

 
景子は同級生Jの存在に目をとめた。Jは凡庸な顔立ちで、成績も良くないのに上位のグループに属している。きっぱりとNOが言えるJ、好きな人に「大人っぽい」と評されるJ。どうしてJが? 景子は彼女への嫉妬の感情を募らせていく。そんなとき、Jが国語教師と関係を持っているという噂が流れ、景子は彼女を陥れるために画策しはじめる。〈不幸になれ。Jは不幸になればいい〉。
 
大人になった景子は、14歳当時の愚かさを冷静に分析する。好きな人の箸の持ち方が汚いだけで気持ちが冷めてしまう幼さ、性の匂いを感じさせるものへの嫌悪感、嫌悪しながらもそれを知りたいと願う好奇心、母に似た冴えない容姿への不満……。それら全てを包むものとして〈あのころ〉がある。

 
だれかを、さびしい人間であるとかんじるような感情。だれかひとりだけに、その内にあるさびしさを見つける感情。それは後年にも人が持ち合わせるものではあるが、そうした感情に、あのころは翻弄されるのである。
――姫野カオルコ「青痣(しみ)」より

 

どんな成熟した人の心にも、〈青痣〉のような苦い過去が、まだらに刻まれている。だが、消せない痣として過去を見つめ直すとき、私たちは〈あのころ〉を経由して〈いまの日常〉へと戻ってくる。〈集積してきた時間〉の分、大人になれたことに気づく。


 

「青痣(しみ)」は、やまじえびねの手により漫画作品になっている。やまじえびねの清潔感のあるすっきりとした画面には、青色がよく似合う。原作に比べると、登場人物も普通の14歳らしく描かれおり、景子の嫉妬の感情と共に、Jの寂しさや孤独感が際立つ。恋を知ってしまった者だけが持つ孤独。Jのなかにもまた、14歳の青痣が刻印されたに違いない。小樽行の車窓から見た海の青が頭をよぎる。私の青痣はどんな色をしているだろう。
 
やまじえびねの作品には『インディゴ・ブルー』(祥伝社)という、レズビアンのカップルを描いた傑作がある。同じ青でも、こちらは深く、得体の知れない濁りが感じられる。この作品も近いうちに取り上げたい。

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